9月10~16日は自殺予防週間です
9月10~16日は自殺予防週間です。
内閣府の平成26年度自殺予防週間実施要綱によると
1 趣旨
平成24年8月に閣議決定された自殺総合対策大綱(以下「大綱」という。)においては、9月10日の世界自殺予防デーにちなんで毎年、9月10日からの1週間を自殺予防週間に設定し、国、地方公共団体、関係団体及び民間団体等が連携して啓発活動を推進し、あわせて、啓発事業によって援助を求めるに至った悩みを抱えた人が、必要な支援を受けられるよう、支援策を重点的に実施することとされています。
平成26年度の自殺予防週間においては、国、地方公共団体、関係団体及び民間団体等が中心となり、自殺対策の啓発事業等に協力・賛同していただける団体(協賛団体)と一体となって集中的に啓発事業及び支援策を実施する。
となっています。
また、
4 実施に当たっての基本方針によると、
(1)国民一人ひとりへの呼び掛け
現代社会では、誰もが心の健康を損なう可能性があることを踏まえ、国民一人ひとりが、自殺を特別なことではなく、身近な問題として受け止めて自殺対策の主役となるよう、共に支え合う共生社会を形成していくという視点を持って、幅広く国民一人ひとりに対して呼び掛けを行う。
となっていますが、
ほとんどの方は知らなかったり、またはあまり気にしていないと思います。
でも それも仕方のないことなのかもしれません。。。
「たら・れば」は嫌いですが、もし私が次男を喪っていなければ、そうだったのかもしれませんので…
ところで、もう一昨日になりますが、ある方から電話がありました。
7日に自殺予防週間を特集した番組をみていたら、違和感を感じて嫌な気持ちになったという内容でした。
私はブログを書く時間がないので、感想を送って欲しいと伝えたところ、すぐに送信していただきました。
掲載が今になりましたが、お読みください。
今日、ふとテレビをつけニュースを見ると“自殺予防週間”を意識づけるためだろうか、“自殺”“自殺”と言う言葉が連呼され、胸がつまる思いがした。
私のまわりでは、“自殺”ではなく、“自死”という言葉がもう定着している。
だからこそ、突き刺さる、“自殺”という響き。“自殺”という二文字から感じる社会的偏見が今の私の胸をつまらせる。
今日のニュースでは“自殺を防ぐ対策について研究する学会「日本自殺総合対策学会」が発足。”という見だしがあがり、関係者のインタビューがあった。
が、私にとっては違和感だらけであった。
解説を聞いていると“死のう”と考えているが生きている人の思い・意見は反映されている気がするが、自死をされた方の家族や関係者の思い・意見が反映されていない・・・そう、自分が今いる場と違う・・・そこから感じる違和感だ。
本当に、自死を減らそう、無くしていこう、と思うなら、自死で大事な存在を喪った家族の方の思いや、そのご家族が受け取ったメッセージを真摯に受け止め、対策や社会に反映すべきだ。
そこに真の対策があるように思う。
というのも、私はずいぶん長いこと、起死念慮を抱えて生きてきた、そして、ある自死遺族の方との出逢いから生きる希望を取り戻してきた、そういう経験があるからだ。
その方が、私にしてくださったのは、私の抱えてきた痛み・悲しみを”私“の現実として認め、善し悪しで裁かずに寄り添うこと。原因を探し、解決を煽るおこがましい“支援”ではなく、私の現実を尊重し、“尊厳”をもっての愛のあふれるかかわりだった。
ニュースで解説されていたように、起死念慮の原因探しや、そこに結びつく要因を取り除くこと、そのための対策も有効なのかもしれない。
でも、私の場合は、それは上辺の問題に過ぎなかった。
真の生きる希望は、その方がご自身の悲嘆を愛にかえて伝えてくださった、その思いによって呼び起こされた。
だからこそ私は思うのです。真の対策は、専門的な知識や統計、理論のみでなされるものでなく、当事者の体験や思いに耳を傾け、真摯に向き合ってこそ、なされていくと・・・。
以上です。
内閣府の平成26年度自殺予防週間実施要綱によると
1 趣旨
平成24年8月に閣議決定された自殺総合対策大綱(以下「大綱」という。)においては、9月10日の世界自殺予防デーにちなんで毎年、9月10日からの1週間を自殺予防週間に設定し、国、地方公共団体、関係団体及び民間団体等が連携して啓発活動を推進し、あわせて、啓発事業によって援助を求めるに至った悩みを抱えた人が、必要な支援を受けられるよう、支援策を重点的に実施することとされています。
平成26年度の自殺予防週間においては、国、地方公共団体、関係団体及び民間団体等が中心となり、自殺対策の啓発事業等に協力・賛同していただける団体(協賛団体)と一体となって集中的に啓発事業及び支援策を実施する。
となっています。
また、
4 実施に当たっての基本方針によると、
(1)国民一人ひとりへの呼び掛け
現代社会では、誰もが心の健康を損なう可能性があることを踏まえ、国民一人ひとりが、自殺を特別なことではなく、身近な問題として受け止めて自殺対策の主役となるよう、共に支え合う共生社会を形成していくという視点を持って、幅広く国民一人ひとりに対して呼び掛けを行う。
となっていますが、
ほとんどの方は知らなかったり、またはあまり気にしていないと思います。
でも それも仕方のないことなのかもしれません。。。
「たら・れば」は嫌いですが、もし私が次男を喪っていなければ、そうだったのかもしれませんので…
ところで、もう一昨日になりますが、ある方から電話がありました。
7日に自殺予防週間を特集した番組をみていたら、違和感を感じて嫌な気持ちになったという内容でした。
私はブログを書く時間がないので、感想を送って欲しいと伝えたところ、すぐに送信していただきました。
掲載が今になりましたが、お読みください。
今日、ふとテレビをつけニュースを見ると“自殺予防週間”を意識づけるためだろうか、“自殺”“自殺”と言う言葉が連呼され、胸がつまる思いがした。
私のまわりでは、“自殺”ではなく、“自死”という言葉がもう定着している。
だからこそ、突き刺さる、“自殺”という響き。“自殺”という二文字から感じる社会的偏見が今の私の胸をつまらせる。
今日のニュースでは“自殺を防ぐ対策について研究する学会「日本自殺総合対策学会」が発足。”という見だしがあがり、関係者のインタビューがあった。
が、私にとっては違和感だらけであった。
解説を聞いていると“死のう”と考えているが生きている人の思い・意見は反映されている気がするが、自死をされた方の家族や関係者の思い・意見が反映されていない・・・そう、自分が今いる場と違う・・・そこから感じる違和感だ。
本当に、自死を減らそう、無くしていこう、と思うなら、自死で大事な存在を喪った家族の方の思いや、そのご家族が受け取ったメッセージを真摯に受け止め、対策や社会に反映すべきだ。
そこに真の対策があるように思う。
というのも、私はずいぶん長いこと、起死念慮を抱えて生きてきた、そして、ある自死遺族の方との出逢いから生きる希望を取り戻してきた、そういう経験があるからだ。
その方が、私にしてくださったのは、私の抱えてきた痛み・悲しみを”私“の現実として認め、善し悪しで裁かずに寄り添うこと。原因を探し、解決を煽るおこがましい“支援”ではなく、私の現実を尊重し、“尊厳”をもっての愛のあふれるかかわりだった。
ニュースで解説されていたように、起死念慮の原因探しや、そこに結びつく要因を取り除くこと、そのための対策も有効なのかもしれない。
でも、私の場合は、それは上辺の問題に過ぎなかった。
真の生きる希望は、その方がご自身の悲嘆を愛にかえて伝えてくださった、その思いによって呼び起こされた。
だからこそ私は思うのです。真の対策は、専門的な知識や統計、理論のみでなされるものでなく、当事者の体験や思いに耳を傾け、真摯に向き合ってこそ、なされていくと・・・。
以上です。
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