広報よこはま『自死遺族の心の支えに』を読んで
21日のブログでお伝えしましたが、標記の通り様々な意見や感想を書いていきます。
横浜市のイメージ作りに はプラスに働かないと思いました。
広報の記事はこちらからリンクします。(「こちら」をクリック・タップでリンクします)
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*記事のタイトルにひかれ読んだが、最初に感じたのは
自殺を自死に替えても、状況は全く変わらない!ということ。
一体だれのための呼称変更なのか・・・
何故『遺族』という言葉を使いたがるのか、理解できない。
病死遺族や事故死遺族とは言わないのに。
*何度読んでもこの記事全体で何を言わんとするのかが不明です。
そして、そういう文章の曖昧さが、「自殺」という事柄に対する世間の印象を、結果的には
曖昧にしたり、ひとりひとりが明確に自分自身でしっかり考える機会を奪う事に
なってしまったり しかねないと思いました。
つまりこういうヘンテコな文章そのものが、結果的に、世間の皆さんの自殺という事柄に
対する偏見を助長することになりかねないと思いました。
*上から目線の浅薄な文章に非常に傷ついた。
さぁ 善良な市民の皆さん、かわいそうな『自殺遺族』のために
せめて呼び方を替えてあげましょう・・・と言いたいのか?
*最初から行政には全く期待していない。
が、この記事を読み、その思いがますます強くなった。
横浜市では以前「みんなでゲートキーパー」と推進していたようだが、
この記事を読む限り全く機能していない。
「必要なときはそばにいるよ」!?
私たちに寄り添う気持ちが感じられない行政人は必要ない。
こんな記事をもっともらしく広報に上げるのは、どんな理由からなのか。
*遺族の一人である自分のおもいは、「殺」という字を使おうが使うまいが、そうした漢字
一文字をどうこうする事で左右されるような軽々しいものではないので、
問題のひとつの切り口としてはまあ悪くは無いだろうけど、
このことを引き合いに出して、ごく短く限られた市の広報紙面でお茶を濁して済ませる
ような文章、しかも何を読 者に伝えたいのか不明瞭な文章を掲載するのだったら、
却ってやめておいたほうがいいんじゃないんですか?とい う印象でした。
*もしかしたら、元々はとても良い文章であったけれど、紙面の都合や無理解な他者に
乱暴に削られたり添削されたりした、‥‥のかも知れないけれど
結果的にこういう文章を広報紙に掲載する横浜市の力量や姿勢が、表に出てしまうので、
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上記が行政が言うところの、いわゆる「自死遺族」である私たちの感想です。
私たちが欲しいのは、安っぽい同情ではありません!
安心して心のウチを聴き、話すことができる場所です。
あんじゅ・虹のかけはしがその場所なのです。
改めて、あんじゅ・虹のかけはしの大切さを痛感しています。
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