自死でわが子を喪った親の集い「あんじゅ」の参加者ブログです

2021年1月のわかちあい

続くコロナ禍の中、1月20日あんじゅのわかちあいがオンラインで開催され、
12名の参加者がありました。

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もう1年近く直接皆さんにお会いできていないのですが、
パソコンのディスプレイに、みどりさん・皆さんのお顔が映ると
「会えた!!たとえコロナが猛威をふるっても私たちはこうして会うことができる!!」と、
とても嬉しく、穏やかな気持ちになることができます。
コロナに私たちのあんじゅを引き裂くことはできません。
(おい!コロナ!無駄な抵抗はやめてさっさと引っ込めよ!!!)

毎年 私はお正月が嫌いでした。
朝 ワンと散歩していると、実家でお正月を過ごすのであろう路駐している
県外ナンバーの車を数台見るからです。
「何故?何故?娘だって我が家で楽しく過ごすことができたのに・・・」と
落ち込んでいました。
でも、今年はその手のクルマを見かけず心がザワツクことはありませんでした。
世の中には、お正月の楽しみがなくなり残念だった方々も多いとは思いますが。


初のオンラインに参加させて頂きました。
久しぶりに皆さんのお顔を画面越しに拝見し、それだけでもう安堵感で一杯になりました。
哀しみ年齢を重ねる毎に、同じ傷みを抱えている同志にさえ、
苦しい部分をさらけ出す事も憚れ、閉じ込める事で何とかやり過ごしてきて3年半…。

下の子が長男が亡くなった年齢と同じ18歳に。
新たな未来への扉を前にしての、期待、焦り、恐怖…
垣間見れる変化する表情がお兄ちゃんとも重なり。

"不満なんかじゃない。不安なんだよ‼️"
という次男のストレートな言葉にハッとさせられ、感謝と共に心から守りたいと強く思う。
当時、何一つ辛さを口にはしなかったお兄ちゃん。
周りのものへの精一杯の気遣いや、
口にしない事で辛うじて保とうとしていたプライドなのだろうとも。
二人共、かけがえのない自慢の息子たち。

年末年始、成人式と、春へと向かおうとしているこの時期は。
世間の祝い事や周囲の心無い一言にさえ、
時間をかけて心の奥深くに沈めていたものが一気に掻き回される。
混濁したものが再び鎮まるのにはそれなりの時間を要する。
こんな時間の積み重ねを幾度繰り返すのかと思うと、途方に暮れそうにもなる。
誰かのせいにしたり、これまで生きてきた道のり全てを否定したくもなるけど。
これまでも、これからも、起こった全ての事に意味があり、
この先の未来に繋がっていく為の過程なのだと思いたい。
余りにも悲しい寂しい悔しい苦しいばかりの心では、あの子も居心地が悪いだろうから。
あの子が私の中に訪れてくれた時には、
今感じているあらゆる傷みを愛おしい気持ちで包み直して、
少しでも暖かい居場所を用意してあげたい。

1日の終わりには、有難うを伝え、お兄ちゃんの穏やかな笑顔と次男の幸せを願って、
私自身も穏やかな眠りにつきたい。
私のやりたい事とあの子だけを想い、
重なり合う様なそんな温かい時間の工夫を探りながら、何とか踏ん張りたいと思いました。
皆さんのお顔が見られて嬉しかったです。有難うございました。
(補足:"全ての事に意味が…"というくだりですが。
否定も肯定もせず抗いながらも受け容れていくような心積もりで、
というようなニュアンスです。誤解を招くような表現をしてしまいました。)

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……といった感想が寄せられました。

またオンライン上で、

年末年始、家族の行事が行われるなかで、
自分の家族の中であっても、亡くなった子への思いから孤独を感じた、
というお話があったり、

「自然に湧いてくる自分の感情を否定しない。
たとえそれが自分自身で受け入れ難い感情であっても、
それを持つ自分のことを、それでいいのだと肯定する。」

「私が私を大切にしてやらなければ、一体誰が大切にしてくれるのか?」

「亡くなった子供の兄弟姉妹がどんなにダメな状態であっても、
それでいい、むしろそれで自然、と母親として思う。」

……といった言葉が交わされました。

他にも、
辛い精神状態のなか、精神科処方の薬を服薬することについて、
薬の服薬がどのくらいの期間だったか?という問いかけに、
ご自分の体験を過去に遡って丁寧に伝えてくださる参加者もいらっしゃいました。

どのお話も言葉も、私にとってかけがえのないものでした。
今年も変わらず、あんじゅは大切な場所です。

(Y)

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